今まであんまり触れないでおいたけど
年末になったから今更書く
それにめでたいお知らせがあるからね。
その2週間くらい、正確にいうと12日前
ブルージーンバップの千葉さんは
フラッグフットの試合で勝ち進んだご次男に付き添って上京
ついでにネイティブスピリットに寄っていただいて
店を改装したことを機会に今一度の拡充を考えての相談を受けた。
ブログで紹介するために改装した店頭の画像を送ってもらって
最後には美しい港と旨そうな海産物の画像もついてた。
その後の展開をメールのやりとりと電話で打ち合わせながら
久しぶりの再会から12日目が3月11日だった。
その日の午後、
スラブ・ネストの中村さんがネイティブスピリットに向かってた
そこに東京で長く続いた低周波のうねるような大きい揺れは
かなりの範囲で大きい被害が出てそうなことを心配させた。
すぐにスラブさんとの連絡も東北地方との連絡も取れなくなった。
それからは東日本の皆様はご存知のとおり
テレビに映し出される各地の巨大津波の画像
大船渡と気仙沼は!?
地図を検索したりグーグルアースで所在地を確認
絶望的だった。
あまりに甚大な被害の悲惨さからか人事に思えず
他人様の無念を想像するだけで感情に潰されそうになる。
続いて明るみになった東電が起こした原発事故
その報道に追いうちをかけられて僕らは小さくなりかけた。
スラブの中村さんは震災直後に徒歩で引き返したとメールがあった。
被害の大きかった地方は通信網を失って情報は報道だけ
数日後に検索サイトが開設してくれた安否確認サイトのおかげで
千葉さんはご家族共々避難されてることまではわかった。
でもライフラインは断たれて支援物資も届かないあの状況
疲弊してるに違いない。
いったい僕と千葉さんは何を話し合ってたんだっけ?
どうしようもねえや、全部流されちまった・・・
離れたところで無事だった僕でさえそう感じたくらいだ
どこかで生き延びてるご本人こそがそれを実感して
して・・・?それ以上は僕の想像を絶すること。
関東でしかも全く被害のなかったネイティブスピリットは
被害のなかった地方と共に経済活動を継続
現地に足を運んでた友達や知人のボランティアを通して
少しでも現地に届けばと後方支援を続けてた。
8月に入って 渡米の前日、
見慣れない電話番号から携帯に着信があった。
その声が千葉さん。
よかった ほんとうによかった。
その後も復帰の打ち合わせを電話で話しながら
とうとうこの12月上京のおりに寄ってもらえて再会できた。
現場にいたご本人の体験談はそりゃもう聞くも涙、語るも涙
当事者でない僕がそんなでどうする、なんだけどね。
店は被害が見えてた湾の南町、
家は あの火の海が襲った鹿折地区で流されたそうだ。
着の身着のまま命からがら避難して
家族全員と再会できて無事が確認できるまで、
家族揃って避難してからも水も食料もない状態
遅れて届いた支援物資も家屋の避難者に届かない
辛く長い時間だっただろう。
その分無傷の僕が働いておいたから
少しでも役にたてるようにするつもりだった。
8月に電話を頂いたころから予定してた
仮設店舗のオープン 再起の日が決まったということで
僕も用意をしかけてた支援物資の用意と梱包を本格化、
仮説店舗を賑やかす花に添えるメッセージは
考えに考えまくった上で敢えて「祝 開店」
せめてそこだけは何事もなかったように
気を遣うのもやめて普通にしとこうと思った。
12月 24日 (土)
旧ブルージーンバップ 気仙沼店
仮設店舗オープン
気仙沼市南町1-1-15
気仙沼復興商店街EXブルージーンバップ = ランダーブルー(アパレル・雑貨店)ブルージーンバップ以外の店舗の方々にも
慎みつつ心から再起を喜びたい。
失ったものはもっと多かっただろうしまだまだ仮設だけど
まずはここまで、今日はここから一歩ずつ。
後方支援に加えて直接支援になるしできる支援はまだまだ続く。
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