とうとう新しい歴史の話しがリンクしてNHKスペシャルで番組化された。
それを機会に数年前からメモのように書き溜めた歴史のハナシを掲載する。
そのNスぺの内容に通じるハナシだったんだけど
Nスぺでは新しい資料を合わせてもっと踏み込む内容
それが公になった。
後に書き加えなきゃならないけど
これまでに書き連ねた内容はそのまま先に公開、
まとめられないからハナシが前後するのもご容赦。
始まりはもちろんインディアンのハナシが発端。
インディアンの受けた侵略は他人事ではなかった
それもそのはずインターネットはなかったけど
そのころ船が世界を繫ぎ始めてたんだから。
先は長くなることをお断りしながら
goes like this
ある時ナバホの友達があるカチーナを手にして僕に聞いた
「このカチーナ知ってる?」
「いや、初めて見るね、何?」
それまでは知らないカチーナだった。
オグーのようなそれは
血の滴る生首を手に雄叫びをあげている。
オグーは日本のナマハゲに当たる存在だから
血の付いた凶器も作り物で
ご愛敬みたいなもんなんだけど
それは併せてヒトの生首を持ってる。
生首にはインディアンに生えない髭が生えていて
つまりアングロということ、それでわかりかけた。
彼が答えを言う
「これはプリーストブッチャー、
ホピがホピであるのは彼のお蔭
だから彼はホピの英雄なんだよ」
なるほど
部族全体のイメージとしては
厳格でも温厚なイメージのあるホピもやる時はやったんだな。
アコマの住むメサ(台地)も
宣教師に次いで現れたスペイン軍に一次占領されたけど
団結したアコマが総力戦でスペイン兵を
メサの崖から突き落として撃退
アコマの名前を守ることができた。
タオス、ポワケ、ナンビ、コチティなんかは
自分の言葉の民族名を守れた。
サントドミンゴ、サンファン、
サンイルデフォンソ、サンタクララ他
サン = San = Saint が付く部族は
宣教師の名前が部族名になっちゃったんだね。
入植したスペイン(メキシコ)の政府が
宣教師の名前で部族を認識した、
単純に考えて「改宗の功績」が認められた。
それは侵略の成功を意味してる。
この話でもちろん僕が思い出したのは
我が国、日本でおきたこと
時はインディアンがそんな目にあっていた
16世紀から19世紀。
大航海時代
国造りで戦争に明け暮れたヨーロッパも
国境が落ち着き安定と平和を得かけると、
各国内に褒賞として家臣に分ける充分な土地はなく、
それを得るには海外遠征しかない。
カトリック、プロテスタントのキリストの宗派
スペイン、ポルトガル、オランダ、
イタリア、イギリス、フランス、
それぞれの思惑を胸に彼等の宗教が
未開なアジア、その後発見する米大陸で
宗教国家の覇権を争うことになった。
そうして日本にも
オルガンティーノやザビエルがやって来る。
宣教師たちは
単純に「平等を美とする心優しい宗教の布教」
に来たわけじゃない。
彼等のもたらす貿易は政情不安定な国では争いを助長して
彼等につけ入る隙を与えてしまう。
その土地がどの程度のものなのか常に本国にレポートした。
宣教師は先に派遣された斥候で、諜報員だ。
甘いカステラで信者を釣り、
信者が集まれば仏教信者を襲うことだってあった。
(宗教間ではどちらからもあったこと)
日本で隠れキリシタンの宗教弾圧と
それに対する抵抗の物語が美談として残るのは
この日本という国が
先遣隊の宣教師を派遣した国の侵略をまぬがれて
その後も「独立を保てた結果」があるからだ。
御上を悪者にしたいのは
特に現代でも第二次大戦の太平洋戦争で
あまりに大きな被害を出した大日本帝国政府への反発
それに勿論、占領軍GHQの意向も込められている。
弾圧された宗教の美しく頑なな信者の物語の裏で
その信徒が度々仏教寺院や信者への襲撃を重ねた事実は
あまり語られていないように思える。
物語をプロパガンダに利用して主張する側の
政治的な都合が見え隠れする。
だけどもちろん信者個人は純粋で
信仰に殉じた人たちは圧政に屈しなかった
強靭な精神を持ち合わせた英雄と呼ばれるのも事実。
とはいえ、もしも彼等の勢力が全国に及んで
日ノ本の統制がとれなくなっていたら
アヘンをもちいられて戦争に負け
割譲される清国やその周辺の東南アジアの国々、
インディアンを制圧してできた南北アメリカと
同じ道を辿っていた。
まかり間違ってザビエルがこの国で成功していれば
サン・フランシスコって国になってたかもしれない。
織田信長から大日本帝国の敗戦までその戦いは続いて、
当事国やその国益の内容を変えて今も世界のどこかで続いている。
つづく
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