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その人の名前ラコタネーム白い蝶の続き
僕の家族のネーミング・ファーザー ミラパシネが
うちの次女に名前を授けて2年ほど経ったころの話。
「私は今まで百何十人もの子たちに名付けをしてきた。
だけど長い間自分のラコタ・ネームは持ってなかったんだ、
それで名付けをしてくれる人が現れてくれて
ようやく私もラコタ・ネームを貰ったんだよ。」
「そうだったんだ、で、新しくついたラコタ・ネームはどんな名前?」
「ミラパシネだよ」
「あ、そうか・・・自分の名前になったんだね」
これはオチでもなんでもない。
ただただ、そういう話というだけ。
1800年代終わりごろ、
合衆国のインディアンに対する最後の鎮圧に抵抗して
シャイアンの決死隊を率いて合衆国と戦い、
その後ラコタのキャンプに合流してラコタなった
5代前の(元祖)ミラパシネ。
その名前が合衆国のシステムに取り込まれて、
ミラパシネを英語訳した言葉がファミリーネーム
つまり「苗字」になっていたわけで、
(現)ミラパシネの英語名前は合衆国の習慣に従ってつけられた
僕等の普通の名前と替わらない名前だったんだ。
特にラコタ・ネームである「名前」を持ってなかった彼が
授かった「名前」が「ミラパシネ」になった。
ミラパシネ家の誰々ではなく
5代目ミラパシネを襲名したってことだ。
何も変わらないと思われるかもしれないけれど、
国の政治上の都合に合ったシステムで「苗字」を世襲するのと、
先祖の「名前」を世襲するのではだいぶ違う。
そういうわけで、インディアンも現代人。
今では
英語を話して
苗字を持って、名前をつけられる。
その名前は現代の国の政治の都合によるもので、
みんながみんな
その部族の習慣による「名前」を持ってるわけじゃない。
「苗字」として世襲した「元インディアンネーム」じゃない「名前」を
インディアンみんなが持ってるわけじゃない時代だ。
それを含めて、インディアンが、
たとえばラコタならラコタ=ヒト、
ディネならディネ=ヒトとして
トラディショナルな
「ヒト」でいることは
アメリカ人がアメリカ人らしく、
日本人が日本人らしくするみたいに
簡単なことじゃない。
命がけと言ってもいいかもしれない。

参考;
culture7インディアンと英語it really workedShield mark シールドマーク Naming Father ネーミングファーザー